オタクは世界を救えない

『数分間のエールを』感想、花田十輝大感謝祭

世間がルックバックで盛り上がる中、逆張りオタクは早口でこう叫んだ。

「花田十輝こそが志向の脚本家なんだがwww????」(花田十輝しか脚本家の名前を知らない)

始めたいと思います。

映画『数分間のエールを』オリジナルサウンドトラック&ボーカル集

概要

まず本作がどういうものなのか説明をしたい。
映像・監督は「ヨルシカ」のMVなどを担当する映像制作チーム「Hurray!」(フレイ)
脚本は『艦これ』、『境界の彼方』の脚本家として知られる「花田十輝」
その他に新進気鋭のクリエイター多数

あらすじとしては、高校生にしてMV制作にドはまりし物作りに没頭する主人公が、ある日雨の中でエモい感じに弾き語りをする女性シンガーに心を打たれ、しかもその女性が新しく学校に赴任してきた教師だったので彼女のMV制作をさせてもらえるように頼み込むが、あえなく振られてしまう。その理由は彼女がもう歌手(を目指すのを)やめてしまうから。主人公は彼女のMVを作らせてもらうため、そして彼女に歌をやめないでもらうために最高のMV制作をはじめるのだった……

という感じで、昨今そんなに珍しくもないクリエイター系。withクリエイターをやめようとしてる人がいる系。ただ珍しいのはMV制作を主題にしている点で、実際に映像担当がその道の本職ということもありかなり映画映えするなといった感じ。終盤でまさしくそのMVが流れるのは、アイドルモノでライブが流れるのと同じような盛り上がりがあった。あと映像が……なんていえばいいかわからないけど、あのヨルシカのMVでありそうな絵柄?CGなのこれ?で作られていて、3DCGともまた違った味のある雰囲気で、全体的にもストーリー仕立てのMVを見ているような不思議な触感のある全編68分だった。

キャラクター

好きなものには一直線!猪突猛進型と見せかけて友人より才能がない分野には早々に見切りを付ける判断力も持ち合わせたセンス型主人公!朝屋 彼方!

一回入賞しただけで才能があると勘違いした主人公の友人ポジ!パーフェクト陰キャメガネ!外崎 大輔!

わりと実力はあるっぽいのに評価されず夢折れたと思ったら高校生にべた褒めされて調子に乗った元シンガーソングライター!織重 夕!

乳がでかい中川 萠美!

……以上の4人が本作の主要キャラである。短編作品というには相応しい少数精鋭で、乳がでかい女はほとんど脇役として数えると基本的には主人公と友人とヒロインの3人で回しているストーリー。

特に主人公とヒロインの話がメイン……と思わせつつ、友人である外崎が意外にも話の根幹を担う活躍を見せたりと、エンタメ的なストーリー展開よりも人間関係でワチャワチャさせるのが得意な花田十輝らしいキャラ配置だったんじゃないかと思う。

一応話のテーマ的にも、夢を追ってたけど破れて就職した夕、夢を追おうかと思ってたけどやっぱやめた外崎、夢破れたけど別のジャンルで突き進もうとしている彼方、と三人はそれぞれ夢を折られた経験という共通点がありつつ、現在の立場は違うものになっている。しかし一番魅力的なキャラクターは中川萠美であり、理由は言うまでもない。

MVを長くしたみたいな作品

中身の話よりも先に全体的な感想を言いたい。

まず、基本的な話の流れは可もなく不可もない。エンタメとしてみると、終始予想のできる流れであって、おおそうきたか!みたいなのはない。しかし主人公の一個目の未明のMVが期待外れだったのは気持ちよかったし、その後に明かされる外崎の心情とかは中々に良いタイミングだった。終盤の見せ場が相も変わらず走る主人公なのはもはや様式美といってもいいだろう。とにかく、良い意味でも悪い意味でもアニメの残り3話ぐらいで無理やり女の子たちをシリアスな雰囲気にさせて1クールを終わらせる能力に長けた花田十輝らしい脚本だったと思う。

そして作品の方向性を象徴しているのは、冒頭1分に流れる、主人公&ヒロインによる冒頭ポエムである。

ご存知の通り、この世界で冒頭ポエムを書くことが許されているのは竹宮ゆゆこか小説を書き慣れていない童貞のみであるため、花田十輝が童貞である場合を除いてこの冒頭ポエムは犯罪である。ただし本作は前述した通りMV制作集団による映像作品であるため、全体的に雰囲気感が重要視された作りとなっている。MVはそもそもがポエムのために作られたムービーであるからして、この作品全体が童貞臭いポエムと合わさって非常になんか長いMVのような気がしてくるのである。

残念ながら冒頭ポエムはあまり作品内容をクリティカルに表現したものとは思えないのだけど、序盤に出てきた主人公の「MVは応援なんだよ」というポエミーな意見はストーリーが進むにつれて徐々にその深みを増していく。68分かけて歌詞の裏付けをしていくこの作品を、薄く伸ばしただけと捉えるか、丁寧に深みを掘り下げていったと捉えるかは視聴者の自由である。

MVは応援なんだよ

クリエイター系の作品を見るたび、物作りに妙な価値観を付与させたがっているストーリーに嫌気が差すときがある。まーた童貞の精液臭い主人公がきたよと思ったのも束の間、主人公が過去に友人に絵のコンテストでボロ負けして挫折したと知ってちょっと興味を持ったのは童貞の趣味によるものである。

「人の心を動かすものを作りたい」というのは主人公とヒロインに共通する夢である。ただ、MVというのは題材とする曲があって初めて生まれるものである。主人公にとっては、曲の制作者、つまりクリエイターも心を動かす対象なのである。つまりこの作品は、モノづくりをする人からモノづくりをする人に対してのエールなのである。モノづくりをしない人は対象外なのである。

主人公が一回目の未明のMVで「キミらしいね」と言われつつも内容を褒められなかったのは、中々に痛いものがある。応援というのは人のためにやるものであって、自分のためにやるものではないので、いくら自分が気持ち良くなっても相手に届かなければそれはオナニーでしかない。オナニー作品を大半の人は求めていない。だから解釈違いのオナニー野郎だった主人公のMVは、いくら質の高いオナニーであっても相手の子宮に届いていない時点で失敗作だったのである。

しかしここで中川萠美だ。彼女のバンドのために作った主人公のMVはなんかよくわからんけど三人のバンドメンバーに刺さった。しかも萠美からは「解釈違いだけどそれが逆によかった」という感じの感想を貰う。そもそも主人公は作中のほとんどをヒロインのMVに費やしていて、バンドの方のMVには熱を注いでる描写があまりない(主人公の性格上、手を抜くことはないと思うが)。そんな状態の作品が、あれだけ力を注いだMVよりもあっけなく高評価を貰ってしまう辺りが、なんとなく本職のクリエイターによる哀愁を感じさせる。

ともあれ、ここで「解釈違いだけどそれもいい」的な感想を得られたのは面白い感じあがする。どれだけ頑張って作品を作っても、あるいはどれだけ頑張って作品を解釈しようとしても、全然検討違いな内容になってしまうことがあるのは今まさにこの記事を書いていても思うところでもある。しかし解釈違いであっても、感想は感想。クリエイターはどんな感想でも、「私は好き」的な方向性であれば、それが力に、要するにエールになることもあるのだと思う。たぶん

この瞬間、主人公もまた萠美からエールを貰ったクリエイターの一人になった。

乳がでかい女からの感想は童貞1億人分の価値がある。主人公は走れメロスして、売れないシンガーソングライターの曲を100曲聴いた。時間にすると5,6時間はあの浜辺で曲を聴いていたことになる(さすがに家に帰ったと思う)。
自分のオリジナル曲を飽きもせず100曲も聞いてくれたら、大抵のアマチュアシンガーはそいつのことを好きになる。案の定、織重夕は主人公の応援に背を押されて再びフリーターになったシンガーソングライターの夢を追うことに。めでたしめでたし。

で、陰キャオタクが気にするのは外崎くんのことである。

「誰かの心を動かしたい」夢を持つ主人公とヒロインに比べ、外崎くんは自分の夢を口にすることがない。県知事賞で自分の才能に気付くものの、主人公のような明確に作りたいものがないから、その後伸び悩む。大量のノートに残されたのは練習の跡というより、描きたいもの探しの跡という感じ。100曲も作れるほど作りたいものがあったヒロインよりもこっちの方が夢追い人としては重症なんじゃないかと思う。とか思っていたら、後日談コミックとかいうのが初週の来場者コミックにあったらしい。そこに色々載ってたりするんですかね?

まとめ

youtubeで未明をループしていると、なんだかんだで劇場の音響はすごかったんだなあってなる(ライブシーンがめっちゃよかったですよの意)