くだらねえオタクの話をする

『MUSICUS!』感想、俺たちオタクがやっていることなんて全てクソなんだ

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 言わずと知れたOVERDRIVE最終作、『MUSICUS!』やりましたのでその感想を書きます。

 いつもは概要とか結構書くんだけど今回はその必要性を感じられないのとめんどくさいのと単純に俺自身が作品のバックグラウンドに触れるほど知識がない(OVERDRIVE作品も瀬戸口作品もキラ☆キラしかやったことない)ので、喋りたい部分のことだけ書こうと思います。

ストーリー全般について

 まずはテーマ性とかはともかくとしてエンターテイメント的な意味でのストーリーについて喋ります。

 ちなみに俺の攻略順は
 三日月→弥子→めぐる→澄
 の順。感想書くのが遅くなったのはだいたい澄を最後に持ってきたせいだけど、他を最後だったらそもそも感想書く気になったかは怪しい。

・共通ルート

 いわゆる途中下車方式なのでどこまでを共通というべきかわからないけど、まあなんとなくで。
 花井是清という絶対的な存在が象徴する音楽の世界。一般的に主人公がするべきお勉強。そして尾崎さんを始めとする暖かい人たちに囲われる定時制の学校。この三つ巴で揺れる主人公が、最後までやった今からするとめちゃくちゃ平和。普通に面白いフェイズ。まあ内面描写というかモノローグとか、あとキャラごとの自分語りとかが一文だけで画面いっぱいを埋め尽くすぐらいに書いてあったりするぐらい出てくるので、主人公が音楽を取るかどうかで悩む心情の機微は十分に伝わってきたんじゃないかと思います。
 ただキラキラみたいに文化祭で一発やってやるぜ!みたいなわかりやすいバンドモノの盛り上がりはなかったので言ってしまえば地味なのかなって感じはする。たぶん書きたいのはそこじゃないからいいんだろうけどね。

 共通部分で特筆するイベントってなんかあったかなあと思い出そうとしたら、あれがあったね。幼馴染の話。あいつマジでクソ野郎だったし最後まで救いもないんだけど、そこにフォローがないのは一般的には胸糞で、でも主人公がどうでもよさそうにしてて自分がドロップアウトする理由付けに利用してるのとかはいっそサイコパス感強調されてて面白いなあとは。

・弥子ルート

 批評空間では澄ルートとの対比があるとのことで注目され始めているこのルート。でもそこは置いといて話をすると、いい話だけど平凡だなあって感じ。

 はみ出し者たちが文化祭でライブをする。わりとよくある話で、ストーリーもそこまで突飛なことはしてないんですよね。尾崎さんが歌う理由も佐藤さんが風邪引いちゃったんでっていうだけだし、主人公が一旦バンドを離れてからまた和解する流れもなんか茶番っぽいとこあったし、最後はライブが成功! 好きな人と結ばれてハッピー! っていう、まあ捻りはそんなない。書き方が上手いのと定時制のメンツがみんないい奴で愛着を持てるのと、あと尾崎さんが天使なのとでかなり読後感は良いけど、やっぱサブルート感は否めない。

 一応作品全体で考えると上述した澄ルートとの対比だったり、唯一の音楽をやらない将来を選択するルートとしての意味合いがかなり大きいんだけど、語れるほどの引き出しがないので割愛します。他の感想を漁ってくれ。

・めぐるルート

 キャラ良し! ストーリー普通! 終わり!

・澄ルート

 一番の問題ルート。キラキラでもバッドエンドがかなり好きだったし、そもそも瀬戸口的にはバッドと呼ぶべきなのか怪しいところだけど、とにかくインパクトがあるやつ。
 ストーリーの評価としては、読後感が最悪。俺は怖いのが苦手なんだけどほとんどホラー。考察とかを抜きにするとハイパー救いがないエンドなので、ピュアなオタクはこれを最後にするのはやめた方がいいでしょう。

 花井さんのいう「音楽の神様」を追求する選択肢をチョイスしていくとこのルートに行くわけだけど、如何せん主人公のサイコパス感が強すぎる。周りの人間を切り捨て、かつてのバンドメンバーの話にすら耳を貸さないのはちょっとシナリオ上の都合が見え隠れするんだけど、主人公は敢えてそういう振舞いをして自分を追い詰めていたんだなって解釈もできなくはない。ぶっちゃけ主人公の立ち回りにはヤケクソ染みたところがあるよね。すべてを捨てて音楽と向き合ったら音楽の神様に出会えるのか? そういうお題へ挑戦するにあたり、主人公は(あるいはライターは)わざとすべてを捨てにいった感がある。その結果はどうでしょう! というルート。
 明確な文句としては、正直ここに重点を置くならもっと後の話まで書いてほしかったというのがある。音楽を追求したルートなら、追及した結果を見せてくれてもいいんじゃない?

・三日月ルート

 メインルート。ざっくり言うと、メインの割にはパワー足りてないっすね。というかここまで書いてあれだけど、正直エンタメとしての面白さでいったらそこまで評価高くはないと思う。OVERDRIVE最終作とか、みんな大好き瀬戸口廉也だとか、その辺のフィルターを通さなかったらちょっと拗らせただけのゲームになってしまうんじゃないか? という不安がある。まあいい。音楽と同じように、シナリオもまた周辺情報に左右されて評価されてしまう存在なのである。

 具体的に気になったとこを挙げていこう。まずバンドが売れるきっかけだけど、要するに名プロデューサーに目をかけてもらったからってだけ。現実ってそんなもんよ的意味合いがあるのならいいけど、ちょっと地味ですね。作中の年数でいうとそこまでに何年とかかけてるし、主人公も売れねえ売れねえ言ったり三日月放出未遂もあったりするんだけど、ストーリーとしてはやっぱりパッとしない。澄ルートでゴミクソだった主人公が、ちょっと三日月を手元に長く置いといただけでトントン拍子に紅白ミュージシャンっていうのはどうなん。

 そしてアシッドアタック事件。これに対する不満点はただひたすら、挫折の理由が「音楽云々」ではないという点。だってさあ、それまで散々音楽の神様がどうとか、感動できる音楽はどうこうとか、プロになって実際に売れてみるとあーだこーだ言って、しかも三日月はなんか覚醒しかかってるわーみたいにやっといて、結局挫折の理由がその辺の陰キャオタクアタックですよ。あまりにもだらしなさすぎる。物語の転換点としてぽっと出にも程がある。まさか「俗世の悪意によっていとも簡単に崩れ去る~~」とか意図してるわけでもあるまいに、これじゃさすがに微妙だよ。もっと前までの流れと絡めてよ。そんな雑に感動シナリオが作れるんだったら俺だって普段から硫酸持ち歩いて生活するわ。

 同じような理由で、主人公と三日月が復活する理由がスタジェネなのもそう。いやわかるよ。スタジェネが音楽の素晴らしさを思い出させるに値するパワーのあるバンドだってのは。純粋に音楽に触れて主人公が初めてのライブのことを思い出すのとか。でもそうじゃないでしょう。スタジェネだって作中の音楽としては言ってしまえばぽっと出で、それまでの積み重ねとかないじゃん。俺には思い入れがないんだよ。もっとシナリオを捻れよ、なんでもいいってわけじゃないだろ。

 そういうわけで、三日月ルートには要求されていたものが多く、また足りないものが多かったわけで、読後感は良かったし作品全体が好きなこともあってかなり面白かったけど、手放しで褒めるわけにはいかない出来となっています。はい。

澄ルートと三日月ルートの対比

 まあやっぱりこれが最重要課題だと思うのでやります。

 まず作品全体のテーマとして、花井さんが出したお題「音楽の神様はいるか?」に答える必要がある。
 つまるところ、音楽というのは単なる音の振動で、それ単体で人を感動させることはできない。聞く人がその曲や自分自身の周辺情報をフィルターとして持ち、それと曲の内容の掛け合わせによって感動することができる。だから音楽には理屈を超えた絶対的な価値をもたらす、いわゆる「音楽の神様」は存在しない。というのが花井さんの説。これを否定したい! というのが主人公のスタンスであり、それを如実に表しているのが澄ルートです。

 じゃあまず澄ルートの解釈。澄ルートの主人公は音楽だけに向き合うことによって、音楽の神様を証明しようとするのだけど、基本的に作中でそれが叶うことはない。なんなら八木原さんにも理解できんわとギブアップを言い渡されるぐらいゴミカスソングを量産するレベルで、褒めてくれるのは気持ち悪いサブカル連中と音楽の違いすらわからんメンヘラ彼女ぐらい。まあこうなってしまうのは主人公に神様を唸らせる程の才能がなかったからといってしまえばそれまでなんだけどね。
 で、主人公は最後、音楽だけに打ち込んで作った新曲の影響で、恋人を死なせてしまう。しかしこれを機に忘れかけていた感情の揺さぶりを取り戻し、恋人の死すらも音楽制作に利用してやんよ! と音楽の神様にその一生を文字通りすべて捧げる決意をして終わり、という締めくくり。音楽に人生を捧げた~なんてうたい文句は巷に溢れてるけど、それを本当の意味で実践した人間の話はまだ聞かないので、馨くんが果たしてどうなるのか気になるところ。

 でもぶっちゃけ、馨くんはこの後もサブカル受けするクソソングしか作れねえんじゃないかなと思うわけですよ。

 そもそも音楽の神様って、なんのフィルターも通さず万人を感動させられるパワーソングを作ることでその存在を証明できるはずじゃないですか。主人公はそこを間違ってる。いくら人生を捧げたかっていうのと、良い曲ができるかどうかってのは関係がないんですよ。
 そりゃ努力的な意味でいったらそうですよ、でも他を切り捨てることって良い曲を作る手段の一つであって、それを追求しても良い曲に直結するわけじゃない。それは『あまり世の中に知られていない、独自の世界観が優れたアーティスト』である対馬馨くんが既に実証してるわけなんです。

 その辺については一応、三日月ルートで答えが出ているわけで。

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 音楽ってのはハートなんですよね。音の振動なんだけど、それは心とか生き様とかその他諸々から生まれた振動なので、やっぱパッションが震えるだろうと(意訳)、そういうわけなんですよ。

 だからそっちの意味でいうと、澄が死んで感情が揺れ動いた主人公は、ニートしてただけのときよりも良い曲は書けるかもしれないけどね。

 でもここで俺は思うんですよ。じゃあ現実で色んなことを経験した方が、音楽だけに打ち込んでる『独自の世界観が優れたアーティスト』よりも良い曲が作れるんじゃないかって。
 そもそも三日月ルートの終わり方だって、結局音楽の神様を証明するには至ってないわけですね。

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 結局、音楽単体でババアを泣かすことはできなかった。でもそれは別にいい。このルートでの主人公は、神様の証明なんてしないで、ただひたすら信じることを選ぶ。

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 まあ神様って元々出会ったりするもんじゃなくて、目には見えないけど頑張って信仰するものなんで、宗教的にはそっちの方が正しいんじゃないかって気はする。

 ここがわりとMUSICUS!の評価がバシッと決まらない所以の一つで、花井さんの出したお題に対して明確に返せてないんですよね。「いるかわかんねーけど信じるしかないじゃん!」って。俺は嫌いじゃないけど、ちょっとすっきりしないところはあるよね。

 一応考えたことを話すと、今はまあわりと納得はしてる。
 まず主人公曰く三日月は、「歌うことに毎回理由付けをしてるけど、その理由がなくなっても、どうせ違う理由をこじつけて歌うことはやめないだろう」とのこと。そして花井さんの幽霊も、主人公も、最後には音楽が自分たちには必要なんだってことで結論付けてる。
 細かい理由はともかくとして、とにかく彼らには音楽が必要なんですよ。花井さんはくだらないことごちゃごちゃ考えて音楽を辞めようとしちゃったから死んでしまったし、逆に三日月も主人公も音楽が生きる活力になってて音楽をやってるから死なないでいる。澄ルートの主人公も音楽の神様を追求し続けてるからまだ死なないし、尾崎さんルートの主人公は気持ちにケリをつけるためにもまだ音楽が必要だったけど、それが終わったら音楽をやめるじゃないですか。もう音楽に頼らなくても生きていくことができるようになったからですよ。

 こうして考えると、音楽と人生には相関性があると思うわけですね。俺は。
 いきなり自分語りをすると、俺自身、音楽に関わらずストーリーとか創作物に触れるときフィルターを取っ払うことってあんまりしないんですよ。人それぞれの受け取り方ってのがあっていいと思う。たぶん作者は考えてないんだろうなぁ~って思いながら、自分の好きなテーマ性を照らし合わせて勝手に感動したりとかします。
 んで、受け取り手がそうなんだから、当然作る方も同じだろっていう。その人の人生があって、音楽がやりたくて生きてるときもあれば、生きるために音楽で金を稼がなくちゃいけないときもある。ただ楽しくて直観で作るときもあれば、世間ウケを意識して打算的に作ることもある。色んな人が好き勝手に自分の曲を褒めたり貶したりする。でもそれらの人生から出てきた音の振動を全部総称して音楽というのだから、いちいちそれを指摘する必要なんてないじゃないですか。
 そうだあれですよ。ロックンロールって人生じゃないですか。だから音楽も人生とは切って離すことはできないんですよ。
 音楽単体で感動できるかできないかなんて無粋な考えだとは思いませんか? 死んだ兄のために妹が歌ったり、普段は夜の教室でこそこそやってる連中が文化祭に出てきて自分を曝け出したり、死にかけの恩師のために必死で演奏したり、音楽に人生を捧げた大好きな恋人の曲だったり、そういう背景を含めて感動することは、そんなにくだらないことでしょうか。

 話題は変わりますけど、あとはー、あれ。バンド名の解釈をあとになって主人公が勝手に変えるんだけど、あれもそう。

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 実際に花井さんがどう考えてたとか、別にわかんないんすよね。それを言ったらそもそも、スタジェネのライブのとき出てきた幽霊だって、主人公の妄想でしかないわけで。もしかしたら花井さんはそんな考え一ミリもなかったかもしれない。地獄にいる花井さんが今の主人公を見たら、「それは違うと思うなぁ」とか言うかもしれない。でも死んだ人間のことウジウジ考えてるのより、こうやっていろんなものをごちゃまぜにしながら音楽続けてる人間の方がよっぽどロックなんじゃないすかね。

 ――はい、また澄ルートに戻ります。
 上記の理由から、澄ルートで主人公のやろうとしている「音楽の神様」への挑戦は、ちょっと的外れだなあと思うわけです。
 でも全部が間違っているわけじゃない。人生のすべてを音楽に捧げる。ロックじゃないですか。己の信念に基づいて、恋人の死による心の震えも音の振動に変えて音楽を作る。才能の無い主人公が音楽の神様に触れるため取る手段としては、まったくナシではない手段だと思います。だって三日月ルートだって無理やり信じるっていうゴリ押しで神様を肯定したに過ぎず、追及しきてれるわけじゃないんで、あのルートの主人公の思想的にはあのラストはあながちバッドとは言い切れないかもしれない。

 ただ、あそこまでする必要がないんですよね。結局。そこまでしなくたって音楽を楽しめる心は主人公たちにはあるはずなんですよ。それを三日月ルートでやってるし、そもそも神様を証明する必要ないじゃん!って話なので、やっぱり澄ルートの主人公は化け物なんですよね。見ようによっちゃ正解だけど、たぶん化け物にしか理解されないんですよ。そんな状態で誰かを感動させられる曲を書けるのかは、甚だ疑問ですね。

 あと澄ルートのエンディングなんだけど、あれは主人公の作った曲ってことでいいのかな。なんかバッドエンド用の曲って感じだからまたちょっと違うのかなとも思うんだけど、でもタイトルが「no title」だからそれっぽいよなあ。もはや楽曲に名前を付けて発表する必要もなく純粋に音楽を作るだけの存在。でもBGM枠なんだよなあ、ボーカルソング枠じゃなくて。……っていうところを気にしてるのはなんでかっていうと、澄ルートで作った馨くんのゴミカスソングが一曲も作中で流れてないからなんですよね。最も人生の多くを音楽に捧げたはずのルートなのに、そこで作られたはずの曲が一個も聴けないとは、なんて皮肉なことだろう!

まとめ

 健康な音楽は、健康な生活から

『推しが武道館に行ってくれたら死ぬ』感想、アニメ化もするし強いオタクがついてるって思われたい

推しが武道館いってくれたら死ぬ(1) (RYU COMICS)

 2020年冬クール、アニメ化決定の『推しが武道館に行ってくれたら死ぬ』の話をします。なんか先行上映会にも行ったんですけどぶっちゃけ出来が良かったよぐらいのことしか言えないんでだいたい漫画の方の話をします。

 ちなみに一巻が無料で読めるらしいので是非。https://oshibudo.com/special/

地下アイドル“オタク”の話

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 まあよくあるアイドルアニメの派生ではあるんだけど、これの主役は「ChamJam」という地下アイドルではなく、それを推すオタクの方。主人公の女オタクであるえりぴよは、全財産を貢いでCDを積み、推しの舞菜との握手券をかき集め、真夏の炎天下で蒸し焼きにされてでもチェキを撮るため列に並ぶ。そういう話。
 でもそれぐらいだとなんかその辺に転がってそうなオタクモノって感じはするし、薄っぺらいあるあるネタを詰めただけの浅いオタクモノに辟易する毎日を過ごしている俺たちみたいな自称ガチ勢にとっては、そんなもんまったくウリにはならないことを当然俺もわかってる。ただ推し武道に関してはそれだけじゃない。正直、これを単なるアイドルモノとかオタクモノってジャンルで考えるのはだいぶ勿体ない。その理由を説明していこうと思う。

衣装がダサい

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  まずこのシーンが一巻に出てくる(アニメだと二話)。ChamJamはお世辞にも人気とは呼べない地下アイドルであり、当然クオリティもほどほど。なんかバスタオルを巻いただけみたいなのが新衣装でオタクたちは普通に落胆する。推しを持ち上げるだけではない。ここが重要。あと衣装は本当にダサいし、舞菜の服に鮭が刺さってるのもヤバい。
 これ以外にもChamJamの運営は弱小事務所らしくヤギや象と一緒にライブをしたり、ドアストッパーのCMを繰り出してきたりするんだけど、それに食らいついていくトップオタたちの戦いが普通にシュールギャグ的なそれとして面白い。

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ものすごいスピードでパンを裏返す

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 CDを積むための資金を稼ぐため、パン工場でベルトコンベアに乗ってきたパンを裏返すバイトをしているえりぴよ。これ以外にもコンビニバイトを始めたり、工事現場でパンを裏返すような動作をしたりすることで収入を得ている。

 ちなみにえりぴよのオタク仲間は全員フリーター。うちの一人は就職できないとかではなく、定職につくとライブに合わせた休みを取れないからとフリーターをやっているぐらい。要するに駄目な人間の集まりなのだけど、悲壮感はあまりない。そもそもオタクは人間ではないので、人間としてどうとかはさほど重要ではない。

ガチ恋勢がいる

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 ギャグシーンではないので取り上げるかどうか迷ってたんだけど、この部分は結構好きなので出していくスタイル。
 オタク仲間の一人である基さんは古参の主人公に比べるとわりと新参の部類で、年もまだ若いガチ恋勢。えりぴよともう一人のオタク仲間であるくまささんが割と古参で純粋にオタクとしてアイドルを推しているのに対し、基さんは将来的に推しと付き合って結婚することを目標にしているので、彼はこの作品において負のオタクを背負わされている感がある。
 推しと男と二人きりでいる目撃情報に踊らされたり、学生時代にテニス部だったことに怯えたり、人気になっていく推しを見て寂しくなったり、そういうところをちょくちょく差し込まれていくのが俺は好き。そしてそこに明確な答えが出ないまま、基さんがチョロいオタクとして活動し続けていくのも好き。それが良いとか悪いとかではなくて、オタクにも色々なタイプがいるので自分なりに強く生きてほしい。

やっぱり衣装がダサい

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 うーん、ダサい(可愛い衣装もあります)

可愛い

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 やっぱアイドルモノなので、基本的にアイドルは可愛い。

 ChamJamは七人組のアイドルグループで、まあ序盤はオタクやその推しがメインではあったけど、なんだかんだ原作は六巻まで出ているので他のメンバーの魅力まできっちり描かれている。わりとこの作者、個性が強いというか変なキャラを作るのが上手いんですねこれが。
 ちなみに原作は最初の頃こそオタクメインだったけれど、最近はわりとアイドル視点も増えてきて、ストーリーも野心が芽生えて真面目に武道館を目指していくような雰囲気が漂い始めている。それに応じてメンバーのアイドルに対する悩みとか葛藤とかも出てきて俺好みではある。

マスカットが落ちてる

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 この作者である平尾アウリは前作でも百合を書いてるぐらいには百合に強い人間なので、今作も結構そういう描写が出てくる。そもそも主人公とその推しが女女であるし、ChamJam内でもわりと明確な二人組を強調してくるからそれはセールスポイントの一つ。

 ただなんていうんですかね。俺は百合には詳しくないんでわからないんですけど、いわゆる男が書く性的な感じとか、そういうのがないんですね。清涼感が漂うというか、果実的というか。ちなみに↑のシーン、マスカットが落ちていること自体には何の脈絡もありません。

まとめ

 先行上映会なるものに初めて参加してみたのだけど、なんか普通にアニメ自体のクオリティが高くてびっくりしました。単純に面白いっすね。みるといいよ。

 あとアイドルモノのアニメ化なので、一応そういう方向にも期待しています。声優陣はほとんどスケジュールが開いてそうなのばっかり集めてるんで、たぶん運営的にも狙ってると思う。

『映画大好きポンポさん』感想、最近太り気味のオタクたちへ

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概要

 『映画大好きポンポさん』とは、数年前からpixiv上で公開されている漫画。作者の杉谷庄吾は本業がデザイナー? けどAmazonなんかで見ると漫画も結構描いてる感じ。俺はpixivでの漫画事情ってのをよく知らんのだけど、かなりのPV数を持ち続刊やスピンオフも出てついでにアニメ映画化も決定しているということでその手の人の中では有名なコンテンツなんだろう。ちなみに俺はなにも知らずに電書を買った口だけど、一巻とスピンオフは無料で読めます(https://comic.pixiv.net/works/3728)。二巻は買わないと読めません。

 どんな話なのかというと、敏腕ロリ映画プロデューサーのポンポさんが、新米映画監督で他になんの取り柄もない映画オタクのジーンくんや、クソ田舎生まれで労働に忙殺される中オーディションを受けまくっては落ちまくってる女優志望のナタリーをけしかけてハリウッド(作中ではニャリウッド)で映画を撮るというお話。
 ウリは可愛いキャラと映画製作者視点(ポンポさん)による映画論。そしてなによりも、コンパクトで気持ちよく完結するそのスマートさ。二巻は出てるものの話自体は一巻で綺麗に終わっており、二巻は二巻で続編として上手く作られているし、スピンオフも単体で見て面白い。この辺は作中で散々語っている映画の作り方ともリンクしており、さながらそれぞれが一本の映画のように独立して見ることができる。

ぶよぶよした脂肪だらけの映画は美しくないでしょう?

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 正直な話をすると、これがなかったらわざわざ記事にしようともそこまで推そうとも思わなかった。まあ他の部分も面白いし二巻で出てくる闇落ちジーンくんも好きなんだけど、別にクリエイターモノの漫画なんていくらでもあるし、そこで語られる創作論も逐一取り上げるのが面倒なくらいには創作界隈に溢れかえっている。良い悪い以前に、それぐらいクリエイターモノは俺たちが生きるオタク界隈で飽和している。だからただのモノ作りをする話ってだけじゃなくて、何かしらフックをくれと常々言っているわけですね。

 で、『ポンポさん』が持つフックはこれ。俺はもう映画なんて二時間越えるものが当たり前だと思っているし、映画オタクのジーンくんも長い方が嬉しいなんて言っちゃう。でもポンポさんは二時間越えの映画が嫌いらしい。長い時点でもう駄目。
 なんでも、子供時代に映画監督であるお爺さんに縛り付けられ映画地獄を経験した彼女にとって、長い映画というのはただそれだけで欠点であり退屈に感じてしまうのだという。
 奇遇なことに俺もアニメを見ていて同じことを感じたことがある。大きな子供である俺たちは、今となっては12話のアニメすら見ることが苦痛であり、なんなら3話まででそのアニメを見終わった気になってしまうことなど日常茶飯事である。

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 そして俺はポンポさんの信者になった。まったくもって彼女の言う通りである。世の中のわかったつもりでいるオタク全員に彼女の言葉を聞かせてやりたい。ボリュームが多いことはその作品の面白さとは関係がないのだ。
 見ろ、予算にかまけて無駄に尺を食い潰した2時間越えのアニメ映画や、意味もなく2クールもやったあの深夜アニメ、重ねた巻数や一冊の分厚さばかりが自慢のヘヴィノベル(笑)。やつらが大きく見えるのは内に秘めたクオリティのせいじゃない。あれは筋肉じゃない。ただの脂肪だってことは、少しぐらい物語をかじったことのあるオタクならすぐにわかるんだよ! だからAngel Beats!Charlotteは2クールあれば良くなってただなんて言うやつは今すぐポンポさんに土下座しろ! これ以上脂肪を増やしたって麻枝が生き返ったりはしないんだ!

まとめ

 そんな感じで、『映画大好きポンポさん』は彼女をタイトルに据えた作品にふさわしく、一巻完結でスマートかつ綺麗にまとまっている。まるでポンポさんの無駄を排した小さく可憐な容姿のように、無駄な脂肪のまったくない作品だと言えよう。

『空の青さを知る人よ』ネタバレ感想、お前の空は何色だ?

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 公開初日は、台風の前日でした。じゃあ空が何色かって? 見りゃわかるだろ。

 映画の話だけど、はっきり言って完成度の低い作品だと思う。一時間半かけて岡田磨里のオナニーを見せられた気分だ。今日はそういう方向性の話をするのでこの映画を面白いと思った人は回れ右をするか自分の感性を疑った方がいい。

概要

 スタッフはいわずもがな『あの花』スタッフ。アニメ・オタク的には有名所で、映画だと『心は叫びたがってるんだ』で思ったよりやるじゃんと高評価、岡田磨里単体では『さよならの朝に約束の花を飾ろう』でまあ人によっては高評価。俺はだいたいお話部分しかわからないから脚本家の岡田磨里でこの作品を語るけど、まあ安定感はともかく個性がはっきりしている人間という印象。特に今回はあの花スタッフの前作であるここさけがかなり良かったのと、宣伝や主題歌あいみょんから一般ウケも狙っているだろうということもあって、それなりの完成度はあるんじゃないかという予想をしていた。

 しかし蓋を開けてみると、お話が酷い。詳しいところは後でまとめてやるけど、なんかもう最後の終わり方とか見たら誰でもなんだこれってなると思う。まったく進まないストーリー、盛り上がりどころがわからないシーンの連続、いきなり爆発する赤いギター、大したこともせず消える地縛霊、歌われることのないご当地ソング。特にラストシーンは意味がわからない。主人公がクソ青いみたいなこと言ってたけどそれはこっちの台詞。お前、ライブはどうした? 大人しんのと一緒に演奏するんじゃなかったのか? 目玉スターはどこにいった? かき鳴らせよ、秩父どんと恋を。

 かつて俺たちは田舎者が右往左往してるのを眺めながら何が起こるのかと期待していた。少なくとも途中までは。閉塞的な田舎の盆地から解放されようとする少女と、振られたショックで過去に閉じこもる少年が、大人とか夢とか進路とかに音楽をもって抵抗する姿を想像せずにはいられなかったし、地元に残ることを選んだババアと温い形で夢をかなえ損ねたジジイが輝いていた青春時代を引きずって苦しめられる展開を心待ちにしていた。その結果、音楽は大した影響ももたらしてくれなかったし、ババアとジジイは普通に結婚して老後を迎えた。少年は気付いたら霧散し、取り残された少女は特になにもしなかった。せめてあかねのおっぱいがもうちょっと大きければ語れることもあったかもしれないのに、この作品は俺たちにシコることさえ許してくれない。この劇場でオナニーすることを許されているのは、岡田磨里ただ一人だけだった。

空の青さを知る人よ

 一応は真面目な話もしておこうと思います。この作品のテーマについて。あんまり読み取れてないですが。

 まず作品のテーマは、タイトル通り、井の中の蛙は大海を知らないが(あかねは地元から出ず外の世界を知らないが)、空の青さは知っている(本当に大切なことはどこにいても同じだよ♡)、ということ。
 あかねはあおいを育てるために地元に残った、というかたぶん彼らの高校時代のメンバー中、地元を出たのは慎之介だけなのかな? あおいは田舎のことをクソだと思っていて、都会に出て挑戦したい/した慎之介は田舎に残ることを居心地のいい場所に引きこもってるぐらいに考えてる。俺も田舎はあんま好きじゃないので秩父にもそろそろ飽きてきている。だからあかねが地元に残ることを選択したのは不幸なものとして認識されているのが大前提。

 あおいは自分のせいで姉を地元に縛り付けていると思っており、東京に出て自律したいと語るのは地元を嫌う自分のためでもあり、地元に縛り付けられている姉を解放するためでもある。ただその決意を揺るがすのが、突如現れた二人のしんの。
 大人になった慎之介はミュージシャンではあるけど夢見ていた姿とは程遠く、都会に出ても田舎もんは土臭いまんまだと教えられ、お堂から出てこれない子供の慎之介は楽しかった頃の思い出に閉じこもっていたい心境を表している。あおいは大人慎之介に厳しくされ、逆に子供慎之介には優しくされ余計に彼のことを好きになる。都会に出てもいいことなんかない。だったら思い出の詰まったこの場所で、自分が好きだった男の子とゆるく楽しくやってりゃいいじゃん、となるのは心弱き者としては仕方がない。

 ただあおい視点での問題は作中描かれてる感じだとただひたすらに、「しんのはあか姉とくっつくべきだ」というもの。自分が慎之介とくっ付く選択肢は終始存在しないし、あかねが自分のことを気にせずに慎之介とくっ付いてくれることこそ、あか姉の幸せなのだと信じて疑わない。この辺が岡田磨里って感じの部分で、要するに女の三角関係というかドロドロというか恋愛模様みたいなもの。
 あおいが慎之介を奪おうという考えに至らないのは考慮すべきところなのかなとも思う。あおいも昔から慎之介のことは好きだったのに、優先するのはあかねであって、なんというか慎之介は思い出の象徴みたいなもんなのかなって感じ。楽器やって慎之介の後追いをしようとしているのも、結局のところは思い出を追いかけているようにも見える。今がつまんねーのを環境のせいにして、慎之介の真似をしたらきっと良くなるんじゃないかって思いこもうとしてるのは、思い出のお堂に閉じこもっている慎之介の地縛霊と本質的には同じ。

 ただその辺の価値観が揺らぐきっかけが、やっぱり帰ってきた大人しんの。クソだせえおっさんのバックバンド、ただの酔っ払い、かつての想い人を放ってJKと行きずりファック。憧れてた将来が一気に色褪せていって、そりゃきらきら輝いている頃の思い出に傾くわといったところ。慎之介本人も同じで、自分の現状に満足してはいないから大人の方は基本的にカスみたいなムーブをするわけですね。
 まあ一応、慎之介は地元を出るときビッグになって帰ってくるという決意をしてはいる。そのために思い出を封印したし、ギターが上手くなってる辺りからは努力も伺える。でも現実はおっさんの尻拭きバンド。こんなのは最愛の人に見せたかった姿ではないので、わざとゴミみたいに振舞って嫌われようとする。地元に逃げ帰ってきたみたいな構図は最悪だから、その辺は男の意地がある。
 でも結局、なんか途中であかねと二人っきりになってギターを聞かせる場面で心折れてしまうわけですね。そりゃ三十代であんなに犯したくなるような見た目の女が優しくしてくれたら基本的に男は勃起する。つーかあか姉だけ見た目変わらなすぎじゃね? こんな31歳いたらマジでファックだよ。そういう感じで慎之介は自分の唯一のソロ曲を披露するわけだけど、その途中から高校時代の教師の真似とか、たぶん昔もそういう感じであかねを笑わせてたんだろうなぁ~って芸を始めるのがもうすげーダサくて痛々しい。お前が見せたかったのはそんな同窓会でする昔話みたいなやつじゃないだろ? 都会でデビューするかっこいい自分のソロ曲だろ? それをおちゃらけて笑いで誤魔化すのはすげーかっこ悪い。でもそこで妥協してしまうんですね。彼はもう心折れてしまったので、田舎に戻ってあか姉のおっぱいに慰めてもらうのでもいいかなって思ってしまうわけです。でもそれをあか姉が叱咤する。雑魚がと。お前に畑仕事は似合わねえよと。ちゃんと夢を叶えなさいと追い返すわけです(そのわりには最後にあっさりと結婚してしまうのがマジでファック)

 この世界で唯一、空の青さを最初から知り尽くしている人物。それがあかね。妹でリアルプリンセスメーカーをやって楽しんでた彼女としては、田舎にいても幸せなもんは幸せだとわかっているわけで、重要なのは場所ではないということを知っているんですね。逆に言うと、どこにいても満たされねーやつはクズだってことも知ってるということ。彼女はあおいを育てることに価値を見出したんだけど、慎之介にはやっぱりミュージシャンとして大成してほしかったので、困ったもんだわと。
 あーつまり、なにが問題かっていうと、慎之介はずっと田舎と都会、思い出にすがることと前へ進むことを分断して考えてたんですね。でもその二つは別々にする必要がないんです。慎之介は雑魚なので、思い出が手に触れられるところにあるとそっちに逃げちゃいそうだからって思い出を封印したんですけど、本来思い出ってのはたまに思い返して元気づけられることもあるわけじゃないですか。慎之介が今回、故郷に帰ってきたのもそれぐらいでいいんですよ。別に夢を叶えてからじゃなきゃ結婚できないってわけでもないんですよ。基本的に空は青いので、それは都会でも田舎でも変わらないし、どっちかっていうと重要なのは自分の中身。あかねは努力の末、あおいを育てきった。しんのは……どうした? 

 あいつは結局なにもやり遂げないまま結婚した惨めな野郎です。あか姉が青さ知りタイプの人間であることはわかったけど、話の帰結としてはどうなんだろうとここで考えます。結局しんのは田舎に帰ってきたのか? あおいはこの先どうするんだ? 話がまとまってねーだろということでこれから本題に入ります。

ストーリーの話

 単純な話をすると、ストーリーが悪いです。上に書いたテーマと関係あるところもあれば、関係なくただ単にストーリーがつまらないという部分もあります。
 まず序盤。動きがなさすぎる。というか序盤中盤終盤と話が動かなさすぎるのでどこまでを序盤とすれば良いのかもわからない。
 一通りキャラクターが出揃い、あおいとデブ(名前忘れた)がバンドの急造メンバーに選ばれるのはまあいい。なんか幽霊が出てくる展開はあの花を彷彿とさせるけど、あれよりもインパクトはめちゃくちゃ薄かった。子供しんのは最終盤を除いて特になにもしないので本当にいる意味がない。よってしんのが現れてもストーリーが動かないわけですよ。なにかキャラと絡んでストーリーに関わってくるわけでもない、あおいにアドバイスをしたりするわけでもない。彼の存在意義はひたすらに内面描写を引き出すための装置なんだけど、そんなんだったら一生モノローグでポエムでも綴ってればいい。最初はお堂でしんのと一緒に練習しまくって大人の方をビビらせるとかそんなストーリーを予想。マジで聞いてるだけだなお前、俺でもできるわ。

 なんだっけ。序盤の話。恋愛部分だけだとストーリーが成り立たないから、一応メインのストーリーとしてはライブ(?)を成功させることじゃないかと思うんだけど、これが薄いんだよね。そもそも成り行きだし、あんまり大々的に取り扱われてないし、それこそストーリーを動かす用に入れましたって感じ。人前でギターを弾くシーンも、最初に見てもらうのと練習のときの二回だけ。それ以降はバンドメンバーが演奏するシーンは一切なし。演奏で見返してやる!とか音楽でしんのの心が!とかもまるでない。演歌歌手はキャラクターを集める舞台装置として作られた存在であり、集まったあとは別に要らないのでまあ最後に落とし物するぐらいですね。だって音楽モノには定番のライブシーンすらやらないからねこの映画。もはや楽器なんてなくてもストーリーは大差ないんだよこれ。ギターなんて女の話をするときの飾りですよ。好きな男と一緒にやりたいからベースを選んだだけで、そいつが姉とくっ付いたらもう興味ないんで予定されてたライブもすっぽかしちゃうわけですよ。
 序盤の話もクソもねーや。語るようなイベントがないからな。マンとチンが我慢汁垂れ流してるだけの序盤中盤、盛り上がりどころがないから気付けばあか姉がトンネルに埋もれてるわけだ。

 そう。相生あかねが今作においてはキーパーソン。なのに何がヤバいって、やつは音楽もやってなければイベントのメインスタッフですらない。こんなに薄っぺらいストーリーラインにどうにかこうにか用意したその二つにすら関わってないから、あかねの登場シーンが本当になんかその辺から引っ張り出してきたみたいなシーンばっかりになる。重要人物が喋れば喋るほど、ストーリーが進まなくなる。でも岡田磨里はそいつらにいっぱい喋らせて台詞でこの作品のテーマを説明したいから、どんどん喋らせてどんどんストーリーが進まなくなる。そもそもストーリーがないからキャラはもう喋るだけ喋ってなんか勝手に誰が好きだの誰が嫌いだのと汚え女子会みたいなのがひたすら繰り返されてる。なんか一人いたクソガキがあおいのことを好きだとか抜かしてたが別になにかするわけでもない。主人公はあかねとしんのをくっ付けるとかあかねとデブをくっ付けるとか言うけど具体的になにかするわけでもない。あかねも立ち位置的に達観してるけど、ストーリー上やったことと言えばしんのに黒歴史を吹っ掛けるところとトンネルに閉じ込められるぐらい。子供しんのはお堂マンだし、名前すら出てきたかどうか怪しい友人ポジションの女は、慎之介を家に入れたり出したりしただけでもはや存在意義がわからない。賑やかしか? そういやあのデブは後半になってからだと車を転がしたぐらいだな。警官になった元同級生は久しぶりの再会なのにガン無視されてフォローもないし声優のギャラの無駄遣いみたいなところがある。いいから音楽やれよ。そのベースは抱き枕の代わりじゃないだろ? どうしてあかねスペシャルは爆発したんだ? 弦を吹き飛ばしたのはこのストーリー上でギターは必要なかったということの暗喩か? 都会から帰ってきた男が地元の女と結婚したらしいが、あいつは今までなにをやってきたんだ? これからどうするんだ? 俺にはなにもわからない。

まとめ

 まあこういうのが好きな人間も世の中にはいるだろう。女のオナニーを見て興奮するタイプのオタクだ。挿入という行為を知らず飛び散ったマン汁で顔を濡らすことが生きがいみたいなやべえやつらだ。
 創作物というのは不思議なもので、全員が面白いという作品もなければ全員がクソだという作品もない。でも少なくとも俺には、この作品の良さは一生わかりそうにない。たぶん、これを作った人間に見えている空の色は、俺が知っている青さとは違う色なんだろう。

『HELLO WORLD』感想、SFとかわかんねえし冒険の話をしよう

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 ハロワことHELLO WORLD、見てきました。ただいつもは見た後すぐに感想を書くんだけど、今回はあんまり書くことないなーってのと中身あんまり理解できてないなーってので一週間ぐらい放置してました。でもまあ小説版を読んだり他所の記事見たりしてだいたいわかってきたのでなんか書こうと思います。

 まあ基本がSFなので考察をさせる作品なんだけど、それは他所で散々語られてるしそれでもなお釈然としない部分があって正直語るのが面倒なので、別の部分についてちょっと書いていきたいと思います。

※当然ですがネタバレあります。

概要

 脚本は野崎まど。SF系のラノベ作家として知られ、最近では『正解するカド』でアニメ脚本を担当し、多くのユーザーに変な期待と妙な落胆をお届けすることを生業としている。俺はカドを見た以外だとコメディ短編集の『野崎まど劇場』を読んだぐらいなので理解度は深くないが、センスを感じると同時に物語のまとめ方に難があるタイプのクリエイターだという話は聞いている。

 で、今作に関しても映像作品を見続けてきた人間としては不安が煽られるような宣伝がされている。「この物語は、ラスト1秒でひっくり返る――」という失敗を約束するかのような一文に戦々恐々としながら俺たちは劇場へと足を運び、実際見たところまあ悪くはないなと俺は思った。どちゃくそにひっくり返ったかというとなんとも言えないが、ノルマぐらいは達成できた感じがする。
 逆に、そこ以外で驚愕する要素はかなり控えめだった印象。未来の自分が来るという話はもはや使い古されているし、味方だと思っていた主要人物が実は黒幕だったというのもよくあることだし、ラスト1秒で明かされる設定も、別に元の世界ですら大元の世界の下位構造でしたっていうのはSF的に探せばあるんじゃないの? って思う。俺はあんまり詳しくないし普通にへーって思ったけど、ただラスト1秒でひっくり返しきれてないから終わったあとに悶々とした感じは残った。というか他所で考察を漁った今でも納得できてない部分がある。

 じゃあ評価はどうなの? というところで、映画を見終わった段階だとまあ悪くないなぐらいの感想。ただそれが、小説版を読んだところでちょっと変わった。作者はちゃんと野崎まどで、映画よりも先駆けて出版されている。

HELLO WORLD (集英社文庫)

HELLO WORLD (集英社文庫)

 

  これね。俺は好き。なにが好きかっていうと、主人公である直実の陰キャ描写がすごい多い。
 映画でも直実が『決断力!』の本を片手に優柔不断でコミュ障な自分を変えたいと願う描写はあるけれど、映像でテンポよく流れるからかコミカルな印象がある。しかし小説版はそれよりもずっと暗い。地の文は直実が己を卑下する文章に溢れているし、失敗を恐れて一歩を踏み出せずにいる様子がひたすら強調されている。序盤は完全に、自信のない主人公が未来の自分から助けを借りて彼女を作ろうとする青春小説。
 だからこそ彼は「やってやりましょう」と自ら険しきに挑む一行さんに惚れるし、対して一行さんを取り戻すためにその身を投じる直実とナオミの姿は、まさしく一行さんが惚れ直すに相応しい冒険小説の主人公のような存在として映る。俺はデータの世界がいくつあるか考察するよりも、こっちを考える方が好きだね。

解説

 とはいえ、他媒体などで得たSF部分の知識をなにも解説せずに喋っていくのは難しいところがある。ぶっちゃけ考察については他のとこを参照してくれと言っても良いのだけど(実際、どこで読んでもだいたい似たようなことが書いてある)、せっかく自分でも調べたのでできる限り短くまとめていきたい。
 ちなみに参考図書として、先ほど挙げた小説版と、同じく小説のスピンオフHELLO WORLD if ――勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする――』がある。

 ついでにウェブ限定で、十年後のナオミがそこに至るまでを描いた10分×三部作の『ANOTHER WORLD』が配信されているが、これは考察に関係ある部分がほとんど出てこなさそうなのであまり触れない。内容的には彼女を失った主人公が新海誠風味のモノローグを垂れ流していく系で、見たい人は見ればいいと思う。登録とかちょっとめんどくさいけどね(特設サイトhttps://www.hikaritv.net/sp/another-world/

 じゃあいきます。まず大前提として、作中世界にはアルタラ内にある2027年の世界、十年後のナオミがいる2037年の同じくアルタラ内の世界、そして実は死んでなかった一行ルリのいる現実の2047年の世界、その三つがある。
(人物表記がややこしいので、小説版にならって27年の主人公を直実、37年をナオミ、そして47年の一行さんをルリと書きます。また27年の勘解由小路さんを三鈴、47年をミスズと書きます)

 大元は現実の2047年。そこでは実際のところ、高校生時代の落雷によって直実の方が脳死になっている(この辺はifで説明されている)。
 事件から20年後、ルリは直実の意識を取り戻すために研究を重ね、ついにその技術を実現。死んだ脳みそを再起動するだけでは足りない記憶の部分を、量子記憶であるアルタラ内から引っ張ってきて『器』に同調できる『中身』とすることで、脳死状態の人間を再生させるプロジェクトがこの物語の真相。
 そして器に相応しい中身を探すため利用されたのがアルタラの量子記憶。
 2047年では技術が進歩し、かなり自由にデータ内への行き来が可能。深刻なエラーさえ起きなければリセットも容易と、ナオミ時代に比べてかなりイージー。そこでルリとミスズはデータを現実から書き換え、落雷の被害者をナオミからルリに変更。データ内で生かしておいたナオミから中身を引っ張り出して器に同調させようという、ナオミと同じことを高い技術水準で達成しようとする。
 しかし問題が一つ。対象であるナオミがメンヘラおじさんとなっており、器に同調させられるような精神状態ではなくなってしまうため、そのままの中身だとクソの役にも立たない。(そもそも落雷直前の中身じゃ駄目だったのか、ナオミを生かすとしてルリを代わりに殺す必要があったのか等は一旦置いておく)
 そのままだとナオミはメンヘラのままだし、所詮はデータの2037年だとナオミが一行さんを2027年から引っ張ってきた時点で自動修復システムが作動してしまうため、そこでリセットせざるを得ない。考えた結果、ルリとミスズは自らがデータ内にダイブして影響を与えていくことにする。それがifで描かれているミスズと協力する三鈴の活躍だったり、本編では2037年に飛ぼうとする直実を手助けするカラスのルリだったりする。(ちなみにカラスが釘宮ボイスなのは映画だけで、小説だと「無機質で機械音声みたいな声」と表現され、その後に出てくるルリの声と一致することで正体がわかるようになっている)
 その結果、ナオミは無事に事故当時の優しくて大切な人のために動くことができる精神を取り戻し、ルリによって現実へ転送される。現実はここでハッピーエンド。

 またデータ内だと、2037年で複数の一行さんや直実が同時に存在することで、自動修復システムが暴走してしまう。これは現実的にもよくないのでリセット案件なんだけど、それをスルーして押し通したのは作中でのアルタラ世界が初。それまでマニュアル通りの動きしかしてなかった直実が、自分の行動で何かを変えようとした部分がミソなんだろうと思われる。だからその後の展開は現実にも予測できていない。千古教授が自動修復システムを停止したおかげで、2027年の世界はアルタラ内のデータでありながらも現実である2047年すら観測することができないなんかすごい状況になって新世界が誕生する。
 一応作中でもifでも、データだからといって舐めちゃいけないみたいな発言は時々現れている。ヤベえレベルの無限量子記憶装置のアルタラが記録をなぞるだけじゃなく、直実たちの手によってオリジナルの動きをし始めることが新世界誕生の原因であり、そうなってくるとアルタラ内の世界はデータでありながら現実でも制御することができない無限の記録を持ち始め、ついには一つの世界と同等の規模を獲得する。最強マニュアルに頼っていただけの陰キャが、今度は自分で白紙の世界を歩み始めるわけである。

冒険小説として見る『HELLO WORLD

 長い前置きがありましたが、ここからが本題です。

 上でも書いた通り、堅書直実は優柔不断で陰キャのコミュ障。何事に対しても一歩を踏み出せず、可能な限り冒険を避ける、結果が分からないことには挑まない、という性格の少年。
 この「可能な限り冒険を避ける、結果が分からないことには挑まない」というのは小説中に何回も出てくる印象的なフレーズ。しかしその反面、直実は自分を変えたいとも思っている。その思いを行動にした結果が自己啓発本という一種のマニュアルなのも、変わるにしたって安全に従えるレールが欲しいという願望を表しているのが悲しいところ。
 だからこそ、直実は一行瑠璃が自分とは遠い人種だと感じる。確固たる自分を持ち、周りに流されない一行さん。直実は彼女を表現する際に「強い」という言葉をよく用いる。弱い自分と対比し、そんな彼女には近づきようがないと感じる。ナオミと出会うまでの一行さんは恋愛の対象ですらなく、もはや単なる怖い人でしかない。

 そしてナオミと出会った直実は、彼の頼みに応じて一行さんを救うことにする。冒険に足を踏み入れるわけである。〝未来の自分がそう考えているのだから〟というサポートがありながらも、彼はそのとき確かに一歩を踏み出したのである。

 未来の自分という厳しいが心強い味方、そしてその通りに従えば確実に恋人ができるという最強マニュアルを手にして、一行さんとの仲を深める直実は、しかし根本的なところでは変わってない。自分の意思ではなく、あくまでもマニュアルに記録されている行動をなぞっているだけ。
 しかしそれが、「自ら険しきに挑み、諦めずに最後までやり遂げる」冒険小説が好きだという一行さんに憧れることで少しずつ変わっていく。一番の山場は燃えてしまった本を復元して古本市を開催させるシーン。このとき初めて直実はマニュアルの指示に背き、避けてきた冒険に身を投じる。と同時に、ナオミもまた記録通りに過去をなぞるのではなく、直実に協力する道を選ぶ。誰かのために動く行動原理は2047年のルリが取り戻したかったナオミの精神に近いものであり、ここでの行動が後に状況を大きく変えるターニングポイントになっている。

 そういうわけだから、2027年の世界が自動修復で消えそうになっているとき、直実がその命を賭けてよくわからん穴に飛び込んで2037年に飛ぼうとするのも、彼の成長をちゃんと表している。青が点滅する横断歩道にすらビビって渡らないでおこうとという選択をしていた直実が、まったく得体のしれない世界の穴に、結果がどうなるかわからないけど一行さんを助けたいという一心で飛び込むようになる。
 冒険小説が好きだと言った一行さんは、私もそう在りたいと望む。対する主人公はそのとき、SFが好きだと言うのだけど、その理由が、SFのSはサイエンス、つまり科学的に現実の延長にあって、そうすると現実の自分も物語の中の人のように思えるから、というもの。どちらも小説を単なるフィクションとしてではなく、現実の自分に落としこんで考えている点が共通している。
 その際に直実は、「もちろん現実の僕なんて、ただのエキストラですけど」と付け加える。その時点ではそうだろう。じゃあ2037年に飛んで一行さんを助けに行く直実は? 険しきに挑み、諦めずに一行さんを救うと決めたその主人公の姿は、まさしく一行さんがそう在りたいと願う憧れの姿だろう。だからこれは、SFであり冒険小説なのだと、俺はそう言いたいわけである。

 それから忘れちゃいけないのが、ナオミの存在。わりと頑張った挙句に結果がボロクソで最後は救う立場ってより救われる立場になってしまった彼もまた、物語の終盤で「いや、堅書直実はあいつで――俺は、ただのエキストラさ」と自分を否定する。本当にそうだろうか?

 ナオミはそもそも、古本市で焼けてしまった本をどうすることもできなかった世界線の存在である。そのとき落ち込んだ一行さんを助けるためにとった行動は、自分じゃ彼女を励ますことはできないから、面白そうな本を片っ端から集めてお勧めして物語に励ましてもらおうというもの(ANOTHER WORLD参照)。冒険というよりは、優しさの目立つ行動に見える。その後、予期せぬ落雷に成す術もなく恋人を失ってしまう。グッドデザインがない直実なのだから仕方ないとはいえ、険しきに挑む直実に惚れた一行さんからしたら「貴方は、堅書さんじゃない」となってしまうわけである。
 だが、ナオミが単なるエキストラで終わる存在かというと、甚だ疑問ではある。たしかに優しさを失った捻くれ者のナオミは、事故が起こる前の精神とは同調できない。ただ、一行さんからは彼女のことを好きだったという十年前から変わらない本心を見抜かれているし、そこだけは変わらない。成長の方向性が違ったというだけで、彼もまた直実とは違った意味での冒険小説の主人公だと、俺は思う。

 そもそも考えてもらいたい。2047年の現実でルリたちが一大プロジェクトとしてようやく成功させた技術を、その十年前に一人で実現させるほどの研究者がナオミである。冷静に考えるとかなりヤバい奴だというのがわかる。やろうとしていることも、ルリたちとさほど変わらない。技術水準と現実かそうでないかの違いがあるだけで、彼が険しきに挑んだという事実は、彼を救うことに成功した現実のルリと同じなのだ。

 だから一緒に付け加えると、2047年のルリもまた、冒険小説の主人公ということになる。「やってやりました」の一言で締めくくられる彼女の冒険で、彼女はそう在りたいと願う自らの姿を実現できただろう。

 直実の話に戻る。2037年の世界でドンパチやった直実は、一行さんを取り戻して新しい世界に飛ぶ。元いたところではなく、まったく新しい新世界。現実の再現をするわけでもなく、当然未来の記録もない場所だから、彼が頼りにしていた最強マニュアルもない。そこで直実は、新しい世界を始めるのだ。彼はSFで冒険な物語の主人公として自らそのページを埋めていく人間になったのであり、そうしてその世界が出来る過程で、別の主人公の活躍も確かにあったのだと、そういうことである。

他媒体について

 一応他の媒体についての話も補足しておきたい

 まず小説版。これは、完全に映画版とストーリーが同じやつ。ただ何度も書いてる通り、主人公の心情描写が映画よりも細かい。臆病だった主人公が何かをやり遂げるように成長する過程を大事にしてる印象が強く、冒険小説とばかり言ったけど青春小説的な側面もある。
 ただ小説単体だとお話としての描写が薄く、はっきりいって映画を見てるの前提な感じはした。俺はこういうのって映画見て好きな人が小説も買うみたいなイメージなんだけど、小説だけ先に読まれても全然意味がわからないんじゃないかと思う。ちなみに考察的な意味でも映画と情報量はそんなに変わりません。

 次に勘解由小路(かでのこうじ)さんif。これは三鈴のところに2047年のミスズがやってきて、直実と一行さんの手助けをするという話。ifなので本編の展開に勘解由小路さんが加わったような話になるが、設定的には同じなので2047年の連中を理解するにはかなりの情報源になる。本編でも勘解由小路さんが二人の周りでうろちょろしつつも物語そのものには絡んでこないみたいな妙な立ち回りをしていたので、このifストーリーほどではないけどミスズの干渉はあったのかなというところ。
 単体での評価は、どうやらかなり良いっぽい。俺は勘解由小路さんが本筋に絡み始めた辺りから蛇足というかなんというか、オリキャラを出したがりな二次創作みたいな痒みを覚えてしまったのであんまりなんだけど、まあスピンオフとしては悪くないと思う。

 そして俺が触れたものとしては最後にANOTHER WORLD。これはひかりtvだかdtvチャンネルだかでしか配信されていない10分×3作のショートアニメ。ナオミが最強マニュアルなしで一行さんと結ばれるまでの話、大学生時代にめっちゃ勉強してた話、アルタラにダイブする一年前の話(10/4配信なのでまだ見れていない)の三つ。
 まずこれ、見るまでがだるい。クレジット見たら映画の製作がひかりtvになっていたのでそういう理由だろうけど、このサービスに元から登録してるオタクはそんなに多くないと思う。ちなみにdアニメストアとdtvは違うので注意。dtvとdtvチャンネルも違うので注意。
 内容の方は、まあ映画が好きな人なら見といていいと思うけど、真新しい発見とかはない感じ。主人公のモノローグとかは陰気な感じで君の名は以前の新海誠を彷彿とさせるので俺は好き。ただ二話で出てきた女はそんなに好きになれねえな。三話を見たらもうちょっと書き足すかもしれない。

まとめ

 はい。そういうわけで悪くない作品でした。まあ爆弾級のインパクトはないよね。そこまで真新しいことをやってるわけでもないし、詰めるとガバいところもあるからクオリティもべた褒めはできない。でもまあオタクはこういうSFに寄せた青春モノって嫌いじゃないですよ。俺もそうだよ。冒険小説って言ったけど序盤の主人公のモノローグは完全にジュブナイルだったので俺はそういうのが滲み出てる作品はわりと好きですね。

新世界

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