くだらねえオタクの話をする

『ある日本の絵描き少年』感想、ステ女とワナビと主人公じゃない誰かの話をする

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 悪名高きゾンビアニメこと『ステラ女学院高等科C³部』。その監督である川尻将由が新作を発表したというのを遅ればせながら↓の記事で知ったのでそれを見てきた。その話をします。

nlab.itmedia.co.jp

概要

 どこから話せばよいのやらという感じなんだけど、とりあえずステ女が俺にとってかなり好みなアニメだったということをまずは知っておいてほしい。
 ちなみにステ女すら知らない人はそもそもこの記事に辿り着かないと思うので、細かい説明は省略。知らない人は上の記事でも読んでくれ。

 で、ステ女がクソアニメ扱いされてるのは俺も知ってるし、実際いろんな観点からしてクソであることには間違いがない。
 ただ俺が好きなのは主人公のゆらにまつわるシリアス展開。俺が見たアニメの中でもトップを争うレベルの陰キャコミュ障具合に、割と序盤から散りばめられる他のメンバーとの軋轢の種。明らかに周囲から浮いてるのに自分の何が駄目なのかわからないゴミっぷり。そんで終盤にクソみたいなムーブをかましていわゆる謎シリアスに入り込むんんだけど、ゆらの性格がクソであることを前提にして考えるとあれは結構納得できる。要するに平坦な萌えアニメとして見ないで、クソ野郎が四苦八苦するストーリーとして見ればあれはちゃんとまとまりのある話だとは思う。その辺が好き。

 その結果円盤売り上げ267枚という輝かしい記録を残した監督がその後業界に姿を現すことはなかった……と思わせて今作の登場。
 『ある日本の絵描き少年』はいわゆるインディーズで、全編20分の短編アニメ。生粋のワナビとして生まれた主人公の出生からおっさんになるまでを描く作品で、最初は子供がクレヨンで描くような絵柄だったものが、主人公の成長に合わせて彼の描く絵と同じように現代風のそれに変わっていくのが特徴。なんなら終盤は実写も出てきてその辺の演出に力を入れていることがわかる。普通に見ていて面白いしインディーズならではだなって感じ。

ストーリー

 お話の本筋はまーよくある夢を叶えられなかった漫画家志望の半生といった感じ。主人公であるシンジくんのそれは予想の範疇を出ない“あるある”だし、最近流行りの漫画家漫画みたいなのでも腐るほど見かけるぐらいありきたり。そういうありきたりな人間の話がこれ。

 少し違うのは、友人であるマサルくんの存在。マサルくんはダウン症のプロレス狂いで、いつもマスク姿の人間の絵を描いているとかいう中々見ない人種。主人公とは絵を描くのが好きという共通点だけがあって、出てくるのは序盤と終盤だけ。マサルくんは当然商業的な成功とかのために絵を描いたりはしないんだけど、成長につれて絵柄も変わり漫画家という夢に折れたシンジくんと、30歳になっても昔と変わらないままマスク姿の人間の絵を描き続けているマサルくんの対比がストーリー的な山場の一つ。

 あとあれ、随所にシンジくんの母親による語りが入るのも特徴。語りっていうか、インタビュー形式なんだよね。プロスポーツ選手の母親が『あの子は昔っから〇〇一筋で~~~』みたいなVTRが流れるような調子で、大したことないワナビの人生を語らせてるのがシュールで痛々しいというかもの悲しい。その反面、ほじくり出せばちょっと語れるぐらいの半生であるのも面白い。

絵を描きたい初期衝動

 一応見に行った回が舞台挨拶(?)で監督が出てくるときで、そのときちょろっと言ってたのがマサルくんの絵を描く動機が初期衝動で云々(ぶっちゃけほとんど覚えてない)というもの。
 で、これを聞いたとき思い浮かんだのが、別に主人公ってどんな絵とか話を作りたいみたいな話一切してなかったよなーってとこ。一回だけ編集に対して自分の作品を推したときも意識高い系の横文字連打みたいなのでギャグっぽく描写してるし、作品の中身に触れられるシーンもほとんどない。どっかでちゃんとその辺を言ってるシーンがあった気がするけどちょっと覚えてないのがあれ。

 でも絵を描きたい、絵を描く人になりたい、ってのは主人公が一貫して持ってるメンタリティ。マサルくんがマスクマンばっかり描くのも同じじゃねーかと思う。それは難しいこと考えて作風がどうとか絵柄が云々だとか語るもんじゃなくて、子供の頃にただ描きたいから描くみたいな、つまり初期衝動ってやつなんじゃないですかね。
 まあおっぱいでもいいし、パンツでもいいんだけど、とにかくなんかしらを描ける環境にいれば主人公が救われる要因になるんじゃないかと。回りくどい理想像とかはこの際どうでもよくて、タイトルにもある通り『絵描き』であることを説いた作品であるとまあ少なくとも俺は感じた。

主人公じゃない誰かの話

 上にあるインタビュー記事の中に、

「自分にはやはり物語の主人公になりえないような人を描きたいという思いがあるんです。最終的に成功者になるわけでもない、何者にもなれない人をテーマに描きたいといつも思っていて。あるいはクリエイター崩れの、でも絵描きのピラミッドの中では一番多い層みたいな人のことです」

 という言葉がある。社会からの評価とは関係なく純粋に描きたい絵を描くマサルくんと、商業に進んで評価されずボコボコにされるシンジくんは、物語の主人公にはなれないという点で共通する。無論シンジくんは今作において主人公ではあるんだけど、ありふれたワナビ像を(一応コミカライズの仕事がある時点でハイワナビだとは思うが)なぞっている時点で主人公的ではないのはたしか。

 まだ彼らが小学生だった頃、作中の絵柄は子供らしくもコミカルだった。それが中学生になって、高校、大学といくにつれ、主人公の絵柄は順調に進歩していく。進歩していく中で、特徴豊かに描かれていたモブキャラがだんだんとリアリティを帯びていく。賞を取ったり周囲からもてはやされたりと主人公気分を味わっていた主人公が、徐々に現実に飲まれていって漫画の世界から引き離されていく感は演出の賜物だと思う。
 特にコミカライズに失敗して実家に帰り、完全に画面が実写になったとき、彼の夢が終わって主人公でもなんでもないその辺に人になり下がったことを実感する。夢破れて実家暮らし。最高にダサいその姿が、ありふれた一般ワナビの末路なんだなって思うと泣けてくる。

 この辺り、母親の語りがすごい刺さる。息子に対してある程度の応援をしつつも理解はされていない感じ。コミカライズのときのよくわかってない雰囲気や、夢破れたシンジくんをただのプー太郎みたいに扱ってるのが、世間一般から見た彼の人生に対する評価をシンプルに表してる。一応は努力して漫画家になったし、そこに至るまでのストーリーもあるにはあるんだけど、端から見ると有象無象のその他大勢にしか見えないっていうね。

 で、しんじくん(30歳)がまさるくん(30歳)の個展で、子供の頃の原風景を目にしたとき、まあ彼は初期衝動を思い出すわけ。おっぱいとか描くし。ちなみにこのおっぱいがめっちゃ上達してるとこにも哀愁が漂う。二十年かけておっぱい描くの上手くなって、プロにはなってないけど少年に喜ばれてるこの感じ。
 そんで初期衝動に刺激されて、また実写から絵の世界に戻るシンジくんに母親の語りが被さってくる。「まーたあの子は絵描きになるとか言って、いい年にもなって」みたいな(完全にうろ覚え)。まあ物語のモブが身の程もわきまえないで夢追い人になったら周囲からそういう風に評価されるのは当たり前で、だけども彼はそれに対して「うっせえ!」の一言で一蹴する。いや一蹴できてんのかはわかんないけどね、でもそこで物語は終わる。結局シンジくんは成功らしい成功をしていないけど、これからもなにかを描き続けることには違いない。

まとめ

 ステ女のときもそうなんだけど、俺が好きなストーリーの方向性なんだよね。だから評価が面白いかどうかよりも単純に好きだよねこういう話って感じになる。

 んでテーマ性もステ女と似たようなところがやっぱりあって、あれは捻くれまくった主人公が自分の価値観でゴリゴリいって(最終的には他の部員と和解するけども)自分のやりたいことを突き詰めるためにドンパチする話。今作も他人から評価されたいのはもちろんだけど重要なところで評価どうこうより自分が描きたいから描くよって話。
 斜に構えたオタクが好きそうで、なんならぶっちゃけ最近こういうの増えてきてるっしょって思うんだけど、俺は未だにこういうのが好きだね。そんでこういうのを結構上手く作れる人として川尻将由を推したい。今作は20分で正直物足りなかったからステ女も推したい。そういう感じで。

 

 

『armello』とかいうゲームが面白かった話をする

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 久しぶりにゲームの記事を書くよ。

 armelloはsteamで配信されてる2000円ぐらいのゲーム。なんかswitch版とかも発売されているらしい。出たのは三年前ぐらいで今更記事を書くのは完全に自己満足なんだけどせっかくだし話をしておこうと思う。

store.steampowered.com

概要

 ジャンルはストラテジーゲーム(?)とか言うらしく、四人対戦のボードゲームをPCでやっている感じ。ターン制でマス目上のマップを移動し、ステータスを上げたり装備を整えたり相手を妨害したりして制限時間内に勝利条件を満たすように戦うゲーム。ここをあんま語ろうとすると長くなるしめんどくさいので割愛。

 大きな特徴としては、勝利条件が四つ存在すること。基本的にはマップ中心の宮殿に引きこもっている獣の王様をぶっ殺す“王殺し”、穢れというステータスを高めて王殺しを行う“穢れ勝利”、戦闘ではなく特殊アイテムを揃えて王を殺す精霊石、そして王には触らず他のプレイヤーを妨害して制限時間終了を目指す“名誉勝利”。勝利条件が複数存在することで選択肢が増え、毎回違ったゲーム展開になるのがこのゲームの一番面白い点だと俺は思っている。

 あとは運要素が強い点。特にリアルのボドゲではなくPCゲームなためランダムな部分が多く、戦闘や罠はサイコロだしターン開始時に引けるカードもランダムだし、マップもNPCやイベント配置ももちろんランダム。そのおかげで良くも悪くも様々なゲーム展開が生まれる。
 これは賛否両論分かれるところで、嫌いな人もいると思う。俺も結構やっててイライラすることは多い。ただ運要素が強いことは四つの勝利条件と合わせて最後まで逆転の目があることを意味しており、最初は運が悪すぎてボコボコにされていたのに、他のプレイヤーがもたもたしているところを突いてワンチャンに賭けたら案外勝てたりもする。最初から最後まで理詰めでやりたいって人はあれだろうけど、ずっと頭を使ってるのも疲れるっていう俺みたいなタイプにはそれほど評判が悪くない。

良い点

選択肢の多さ

 まずキャラクターが多い。DLCを含めると全部で20体、そこからさらに指輪やアミュレットといったカスタマイズ要素で、スタート時点から選択肢が多い。そりゃ強いのを選ぼうとするとある程度テンプレにはなるけど、どのキャラもちゃんと使えば戦えるという印象。というかステータスや装備なんかはゲーム展開次第なので、どんなキャラでも同じ戦い方にはなりにくく臨機応変に立ち回る必要があったりする。
 それに加えて上にも書いたとおり勝利条件が複数あって、どんなキャラでも初めに目指していた勝ち筋と違う立ち回りを強いられたりもする。運要素も強いからテンプレに囚われない方が勝てるっていうバランスが良い。

王殺しと宮殿の罠

 まあ結局は王殺しするのが一番早くて勝率高いってのが上に書いてるのと矛盾してんだけど、その王殺しにも手順がいくつかあって面白い。
 その最たる理由が、王様が居る宮殿に入るため、罠を突破する必要があるという点。罠は単純に知恵のステータスを上げて突破するか、手札に罠を解除できるシンボルを集めるか、クエストを消化して確実に行くか、なんてところ。一応運ゲーなのでワンチャン狙いで突っ込むのもアリ。
 王殺しを狙うには戦闘力を高めたり装備を整えるのが最優先なんだけど、そうすると宮殿に入るのが難しくなる。そしてその逆も然り。バランスが大事なんだね。
 で、とりあえず序盤はステータスを上げる旨味もあるのでみんなクエストを進めるんだけど、最初からつまずくとクエストからの宮殿解放が絶望的になる。でもアイテムとかは妨害されまくってても揃えることは可能なわけで、あとはシンボル揃えて自力突破すれば終盤からの逆転は十分にあり得る。それから他のプレイヤーが空けたところに後ろからそいつを殺して入るって手段も面白い。

 そんで王殺しだけど、これもただ戦闘力一辺倒にすればいいだけではない。王様の装備が特殊で、他のキャラを殺すには戦闘力だけ高めてればいいけど、王様を殺すには程よい戦闘力で上手に戦う必要がある。細かい説明はいちいちしないけど、戦闘が強いキャラでも一生能筋してればいいわけじゃない。
 そいで戦闘力が低いキャラは精霊石とか名誉を狙うわけだけど、かといって戦闘力がまったくないとカモられるだけであまり強くない。キャラによって強い部分と弱い部分がちゃんとある。ここが偉い。(ただある程度プレイしてやっぱり戦闘力高い方が普通に強いことが判明。バランスが本当に良いのかは謎)

悪い点

人口が少ない

 普通に過疎。wikiとか全然更新されてないし動画や記事も全然ない。でもマッチングはする。俺はフレンドとやるために買ったみたいなところがあるからあんまり気にしてないけど人口少ないとなんだか悲しくなるね。でも過疎って言われる割には結構スムーズにマッチングするんでそこは助かる。

テンポが悪い

 一戦で一時間とか平気でかかる。しかもその一時間の大半は自分の操作に関係ないシーンなので、アニメや動画のお供がほぼ必須みたいになってる。
 特に気になるのが、戦闘の演出がクソ長いこととNPCの行動がいちいち挟まってきてウザいこと。特にNPCがプレイヤーに襲い掛かってきてもうやる前から勝敗わかりきってんのにわざわざ戦闘画面に移って装備効果の演出があってサイコロころころしてこっちが殴って相手が殴って普通の画面に戻ってから戦闘結果が表示されてNPCが元のマスに戻ってそんでまた他のNPCが同じように殴りかかってきて繰り返しってのを毎ターン繰り返されるとさすがにもう時間の無駄すぎて死ね。マジで長い。これは本当にクソ。

運要素が強い

 賛否両論って言った通り。さすがの俺でもダンジョンで連続ベインを引き当てたり、序盤のクエストまでのルートが過酷すぎてどうやっても不利確定、みたいなのは萎える。萎え落ちして消えるやつがそれなりの頻度で出現してしまうのがこのゲームの残念なところ。正直序盤が不利でも結構逆転はできるんだけど、単純にストレスが溜まってしまうのが駄目。

まとめ

 まあ面白いっすよ。下手に人口がいなくてランクマがないのが逆に良いのかもしれない。色んな選択肢があるって言ったけど、勝率を追い求めたらやっぱりテンプレになってしまいそうだし。対人ゲーってそれなりに人口のいるいわゆるeスポーツ的なのばっかりやってたからこういうのは新鮮ですね。ボドゲが好きな人にはわりとおススメできると思う。

 でもまあやっぱりフレンドとわちゃわちゃやる方が断然楽しい。孤独にゲームをやるのは疲れてしまった感がある。そういうあれ。

『風が強く吹いている』感想、お前ら箱根駅伝ちゃんと見たことあんの?

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 俺はないね。
 だいたいあれだよ、正月に実家で垂れ流してるからそれを見かけるぐらいで、通して全部をちゃんと見たことはない。そもそも走るだけってのがつまらないし、それを外から見てて何が面白いのかって思う。
 おまけにテレビ局がやたらとドラマ仕立てを意識して、レースの途中で故障した選手が棄権するかしないかみたいな光景を涙ながらに放送するのなんかマジでくだらない。たすきを繋ぐってワードに酔ってるだけじゃないかって感じがして、どうにも好きにはなれそうにないんだよな。

 そういうわけで、『風が強く吹いている』のアニメを14話まで見て、原作と映画にも触れた俺がその比較をしつつ感想を話していきたいと思う。

概要

 原作は三浦しをんによる小説。一巻完結だが、文庫本だと600ページ以上とそれなりのボリューム。2006年に原作が出て、2009年に実写の映画化。それからだいぶたった2018年になぜかアニメ化。

 内容としては、大学のオンボロ学生寮である竹青荘に住む十人が、そのうちの一人であるハイジを中心として、ほとんど初心者の状態から箱根駅伝を目指すというもの。もちろん十人全員が乗り気なわけではないので、序盤はいわゆる「メンバー集め」的な展開から始まり、中盤はトレーニングや記録会を通してタイムを上げていくお話、そして終盤は箱根駅伝本番の最初から最後までを描ききる。ちなみにアニメだとまだそこまでいってないけど、箱根駅伝出場は無理だったよ……という展開にはならずその辺はちゃんと達成します。

 ただ素人集団が一年で箱根駅伝出場、なんてのが現実的でないのは当然。そこをファンタジーでなくちゃんとしたトレーニングにより実力をつけて出場するお話なので、箱根駅伝を目指す過程が結構ちゃんと描写されていたりする。原作なんかだと節目ごとにトレーニングメニューやメンバーのタイム一覧が出てきてその辺に気を遣っていることが伺える。まあ俺は陸上経験なんか皆無なので本当にそれが現実的かはわからないが。

 で、どちらかというと原作はメンバー集めがスムーズで、陸上競技としての描写が中心。逆にアニメ版は尺の長さを生かして1クール目のほとんどをメンバーが定着するまでに費やし、キャラ描写に力を入れている。映画版は二時間にまとめるため、細かいところは削って代わりにエンタメ的な面白さが重視されている感がある。

 原作に近いのは映画よりアニメ版の方。でも映画も面白いし、なによりプライムビデオで配信されてる。というかアニメ版がプライムにないのはなぜなのか。

キャラクター

 陸上経験者だが故障明けのハイジと、同じく陸上経験者でエース級の実力を持つ走がチームの主力。それ以外の八人は運動部経験者だったり黒人だったり山奥の秘境出身だったりと素質のある者から、ニコチン中毒クイズ王オタクなどの運動不足まで色々。

 とりあえず箱根予選会における出場条件である5キロ17分以内を目指すにあたって、元運動部とかはともかく運動不足組がこれをクリアできるのか? というのが問題。映画版はこれを上手く解決していて、「竹青荘は一応陸上部の寮になっているので、体裁を保つために寮生は毎日5キロを走らなくてはならない」という設定が追加されている。要はまったくの素人ってわけでもないし、メンバーが箱根挑戦を受け入れやすい土台にもなってるので、尺の短縮を考えても賢い改変だと思う。
 逆にアニメは、上でも書いた通りメンバー集めの段階でかなり尺を使ってる。原作だとあまり触れられなかったキングの就活エピソードに話数を割いてるし、王子なんかはかなり顕著。まあ元が一年かけて箱根を目指す話なわけだから、じっくりとキャラ描写して説得力を持たせるのは悪くないと思う。
 ただぶっちゃけ王子の運動音痴具合はやりすぎだろ。フォームがおかしくてそれを矯正するエピソードは別にいいけど、元のフォームがおかしすぎる上に矯正した後でも普通に変だし、なによりアニメ版だと30分切るのですら一苦労だったところが、原作では最初の時点で30分は切れている。元の設定でも十分厳しいのに、どうしてそこまで王子をウンチにした? 尺が余ってるから適当に改変したんじゃねーかって感じで、そこだけはアニメ版に不満がある。

 ついでに映画版だと各キャラのエピソードに追加はないけど、代わりにちょっと変わってるヤツが何人かいる。キングが常に早押し帽子(?)を被ってるのが結構キャラ付けとして面白くて、それをニコチャンが作ってあげたって設定が好き。ユキは最初から素人としては早い方で、走に対して喧嘩腰な辺りが本番での活躍に繋がってる。神童は走り終わった後のエピソードが映画で追加されてて濡れる。映画は映画で良いところがあって面白い。

 で、あとは走の高校時代の話。なんで走が問題を起こして大学では陸上部に入らなかったのか? ってとこはどのメディアでも同じだけど、ここがさらに掘り下げられているのは、アニメではなく原作の方。アニメは他のキャラのエピソードを増やしてるけど走の内面はあまり掘り下げられてないんだよな。
 具体的にどういうところかというと、走が感じる部活で走らされることへの苦手意識について。これを原作だと早い段階で、ガチガチに管理されて走るのは窮屈だし、速いからって顧問に特別扱いされるのもクソってな風にモノローグで語ってる。ことあるごとに走が高校での部活とハイジのやり方を比較してるし、回想以外のところでもその辺の話を出してるから走が問題を起こしたことに説得力があった。まあこの辺は活字媒体の強みもあるだろうけどね。
 あとはハイジが竹青荘で箱根を目指そうとした理由についても、完全管理型の高校時代とは違う、別のやり方があるってことを証明したいっていうのが最後らへんに明かされている(アニメだとまだそこまでやってない)。

なんで箱根駅伝

 最初の話に戻ろうと思う。

 十人で一つのたすきを繋ぐということ。この良さみは、そこに至るまでの過程ありきなんだと思う。そりゃね、ぽっと出の若者が寒そうな格好で遠いところを走ってるぐらいじゃ人は感動できない。だから俺は今年の箱根駅伝も別に見なかったし特にこれからも見ようって気にはならない。

 ただこの作品は、その過程をちゃんと書いてるから面白い。もちろんフィクションだからそれはエンタメ的な面白さに昇華されているわけだけど、やっぱり一緒に走る仲間が集まって、みんなで一緒に練習して、そのバックグラウンドがあるからこそ、その仲間とたすきを繋ぐことに意味が生まれるってのは確かにある。
 走なんかがちょくちょく言うのは、「走っている間は一人だ」ということ。まあ陸上競技は基本ソロプレイなんでね。でも一人で走っている結果をみんなで共有できるのがこの駅伝という競技。人に合わせるのが苦手で協調性皆無の走が、確かに走っている間は一人なんだけど、その喜びを仲間と分かち合うことができるのが駅伝ってわけ。

 あとハイジの存在なんかはもうそういう意味でも大きい。故障して走れなくなって、走ることを好きではなくなって、それでもやっぱり走りたいぜって人間がそのためだけにメンバーを集めてチームを結成する。ハイジは一貫して走るためだけに動いてるんだよな。練習のためにバイトを強制的に辞めさせるし、キングの就活に関しては完全に放置だし、王子のコレクションを捨てる意思もある。けどみんなに走ってもらうためなら飯も作るし環境作りも完璧にやるし王子を釣るために漫画の名言も覚えてくる。
 正直、キングの就活に対して完全に無関心なのはかなりのクソ野郎だと思うけど、その辺をあまり突っ込まれないのは彼の行動原理がはっきりしているからだし、メンバーがついていくのも、最終的には十人全員が箱根駅伝を走るための人間になっていたからだと思う。そこまでやるからこそ、走る感動ってのが生まれる。こたつでみかん食ってるやつとは違う世界が見えたっておかしくない。

競技としての部分について

 あと原作読んでて面白いなって思ったのが、箱根駅伝に至るまでの記録会や予選会のシステムや、長距離走のトレーニングの話。それから本番での区割りの話とか、各コースの走り方についての描写とか。

 たぶん箱根駅伝って言葉を知らんやつはいないだろうけど、予選会の存在はあんまり知られてないと思う。少なくとも俺は知らなかった。長距離の練習とかも長く走ってるだけちゃうんかって感じだったから、作品の中でそれを解説するような内容があったりするとほーんってなる。そもそも陸上競技の作品に触れるの自体が珍しいんだよな。

 駅伝本番ではそれぞれの区の役割とかコースの特徴に違いがあったりして、それぞれの区を全部書いてるから原作だと本番だけでもかなりの文量がある。ぶっちゃけ、走ってるだけのシーンをよくこんなに面白く書けるなってのは感心する。
 特に好きなのは六区の山下り。たぶん見どころとして書かれてることもあって疾走感があるし、山下り独特の普段とは違う走り方、あのなんか体重移動がどうとか滑りそうで云々みたいな、走ってるだけなのにかっこいい。すごい。

まとめ

 面白いです。原作を読んでおいてよかった。書いた内容を見ればわかると思うけど俺は原作推しね。
 ただアニメもなんか力の入れ所がたまに違うんじゃねって思うことはあるけど、おおむね原作通りだし丁寧に作ってあるし、今期の中でもだいぶ強い方。一番最初に絵を見たとき腐女子向けかって思ってスルーしたのはかなりのミスだったね。プライムで配信してくれないから、俺は後から追うためにU-NEXTの無料体験に入る羽目になった。

 

風が強く吹いている

風が強く吹いている

 

 

2019冬アニメ一話一言感想

ケムリクサ

 曰く付きの作品。そもそも俺はけもフレすら見てないのであまり語ることはないがまあ一話だけじゃなんにも言うことはない感じ。

バーチャルさんはみている

 別に内容がゴミだってのは言わなくてもわかることだと思う。そもそも(ジャンル的に)これをアニメと呼ぶこと自体がおかしい。

revisions

 一応今期で一番期待してる。クソダサバタフライナイフマンをどれだけ面白く動かせるかが肝だと思う。

ガーリー・エアフォース

 戦闘機とセックスする話なのかと思ったら最後だけ普通に女が出てきて笑った。

約束のネバーランド

 面白いって噂は聞いてる。なんかどっかで見たことあるような設定だけどまあいいんじゃないですか。てか最近ジャンプアニメ多くね?

盾の勇者の成り上がり

 ぶっ叩くつもりで見たらそんなに悪くなかった。太郎とか次郎に比べりゃ十分に見れるレベル。ここから盾がほんとに面白い感じで成り上がっていけるなら評価できるけど、どちらかといえばどのタイミングでボロが出るかに期待してる。

ブギーポップは笑わない

 実は古典的名作ラノベは全然読んだことがないしあんまり興味もない。

ドメスティックな彼女

 姉がエロい。とりあえず十八禁にしてからもう一度持ってきて欲しい。なんか良さげな空気も感じるが俺みたいなオタクの見るジャンルなのかがよくわからん。

魔法少女特殊戦あすか

 硬派気取った魔法少女モノ。シリアスやりたいんだろうけどもうタイトルに魔法少女って付けてる時点で見る気が失せる。それにたぶん付いてなくても見ない。

W'z

 和民が潰れてミライザカになった。名前を変えたって俺たちはわかるんだぞ。

エガオノダイカ

 お姫様がシコれるタイプのカラーリングしてる。軍事モノをやるにしては穏やかな一話だったしいまいち方向性が掴めない。タイトルがシリアスを主張してるし、もっとお姫様が可哀そうな目にあってくれたりしないかなと思う。
(若干趣旨に逸れて二話の話をすると、かなり期待に沿った感じに進みそうで興奮した)

荒野のコトブキ飛行隊

 空戦シーンのカメラワークとか効果音とかリアル寄りの地味さとかあのどう考えても無駄な尺の長さとかがすごい凝ってるけど俺は特に興味ないし普通につまんねえアニメだなと思った。

私に天使が舞い降りた

 よくあるロリアニメだなとしか。

風が強く吹いている

 2クール目。安定してる。

モブサイコ100

 二期っていうか2クール? まあ安定して面白いね。

ぱすてるメモリー

 まあつまんないと思うよ。なんか二話まで見ちゃったけど、作品世界に入ってどうこうとかいう流れでちゃんと実現する作品のパロディをやるのはいいのに、料理の仕方が下手だなって感じ。あとごちうさキャラをゲロブスにするのはマジでセンスない。

サークレットプリンセス

 近未来タイマンバトルスポーツをする話。素人主人公が架空のスポーツをよく知らないまま初体験して参戦する流れ、どっかで見たことある気がする。

 えんどろ~!

 キャラの作画とか動きは良い。設定はまあ悪くはないと思う。魔王がなんか狙いすぎてて好きになれそうにない。特別な見どころもないし、そのうち誰も話題にしないまま消えそう。

まとめ

 そろそろ本気で不作のシーズンがきてると思う。とりあえずrevisionsに一票を入れておく。面白くもないしネタにもならない有象無象がマジで多いんだけどどうなるんでしょうね。

『ラブライブ!サンシャイン!! 劇場版』感想、虹より先のもっと向こうの話

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 サンシャインに関してはただアニメ一期と二期を見ただけのμ'sファンが『ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow』を見てきたらわりと面白かったので話をしたいと思う。

※ネタバレをするので気にする人は気にしてください

概要

 ラブライブ優勝を果たし、廃校阻止にこそ届かなかったものの一つの目標を成し遂げたAqoursの9人。二期の最後では卒業式を迎え、三年生トリオはそれぞれの進路へ、一二年生は統合先の学校でもAqoursとして活動を続けていく……というのが劇場版に至るまでのあらすじ。

 劇場版は卒業式が終わって新学期が始まるまでの期間の話。卒業旅行に消える三年生を見送って、残された一二年生は新たな環境での活動を模索していくが中々うまくいかない感じ。いきなりニューヨーク送りになった初代劇場版と比べると、ややスローで下向きな序盤から物語は始まる。

 ここでAqoursの特筆すべき点として、三年生の卒業後も活動を続けようとしている、という点が強調される。
 ちなみに俺は作品的にも個人的にもAqoursはμ'sと比較してなんぼだと思っている。三年生の卒業を区切りにグループを解散し「今が最高」で締めくくったμ'sと、メンバーが変わってもグループを続けようとするAqours。その対比こそが劇場版を見る際に最もアツい点であり、その決断にどういう落とし前をつけるのかが二つの劇場版の見どころであるのは言うまでもない。

 またSaint Snowの取り扱いも今作の注目点。姉の聖良が卒業するSaint Snowの妹の方、理亞も新たなメンバーを集めて姉がいない環境でのスクールアイドル活動に悩みを抱えており、6人残るAqoursに対し1人になった理亞はその重荷も計り知れない。ここのエピソードは劇場版のテーマを語るにあたっても重要なポジションを占めており、俺の中でのSaint Snow株もまた、かませ役の如き登場シーンをかました一期の頃とは比べようもないくらい上昇した。

もっと向こうへ

 あんま上手いフレーズが思いつかないんだけどだいたいの答えはそういうこと。今作のサブタイトル「Over the Rainbow」は決してそれっぽいものを適当に付けたわけではなく、「虹」ラブライブに優勝した今として、それを超えたその先の物語であると捉えることができる。

 ちなみに「今が最高」と定義したμ'sは、自分たちの活動を輝かしいその瞬間で終え、その先の物語を後へ続くスクールアイドルに託した。自分たちの活動を「僕たちはひとつの光」で完結させて、その後の物語を「SUNNY DAY SONG」でスクールアイドル全体に拡大させて受け継ごうという発想である。

 それと対比すると、AqoursはあくまでもAqoursそのものが存続する話。つまりAqoursは今が最高なだけではなく、その後も最高ではなくてはならない。作中で何度も繰り返される「もっと向こうへ」「更にその先へ」という言葉は、三年生がいなくなった後のAqoursの活動を示唆している。ゼロから1へを目標にしてきた彼女たちが、今度は1からその先を作るためにはどうしようか、というのが今後の課題である。

 とはいえ、やはり三年生が抜けた穴は大きい(ということになっている)。6人に減って戦力がクソ雑魚になった彼女たちは三年生の尻を追いかけイタリアにまで向かう始末であり、せっかく1を作り上げた彼女たちは再びゼロに戻ってきたかのようなメンタルに陥る。そんな中、海外でのライブやSaint Snowとの疑似決勝戦を通して彼女たちが気づくのは、三年生が卒業してもそのまま積み上げてきたすべて消えてなくなるわけではないということ。月並みではあるが卒業した三人の魂は残った六人の心の中へと受け継がれていくものであり、だから新しく始まる活動もゼロから始まるわけではなく、1から更にその先の活動として始まるわけである。

 また、今作では特に「変化」を受け入れるシーンが目立つ。特徴的なのは、理亞をAqoursメンバーに受け入れようかという話題の際に千歌がさらりと口にしたAqoursは何人って決まってるわけじゃないし」という台詞。あくまでも9人のμ'sにこだわった初代と異なり、メンバーが減っても増えてもAqoursでありつづけようとするサンシャインを強調する台詞として印象深い。それ以外にも、新たな学校や新たな練習場所、新たなキャラ(竿役ことツキちゃん)などを加えて変わりゆく環境を肯定していこうという姿勢が見える。
 これは、廃校を阻止できなかったというAqours唯一の心残りを乗り越えるために重要な要素。いっそ原点回帰とも思える。三年生の卒業だけでなく、廃校という最もネガティブな要素すらも受け入れてその先へ進もうとするその意思を見せつけることで、廃校問題にようやく決着がついたと言えよう。

理亞ちゃんのお尻

 ただのライバルユニットではなく、もう一つの主役として描かれる今作のSaint Snow。上にも書いたが、1人で残される妹の理亞はAqoursの6人よりも負担が大きい。特に陰キャ属性の理亞が新メンバーと上手くいかずスマホを投げ捨てるシーンはとても心にくるものがある。姉離れする妹の成長はルビィにも共通して描かれているが、そこで鍵になるのが二つのユニットで行う疑似決勝戦。というかほぼSaint Snowの卒業ライブ

 理亞が心残りに思っていたことはすなわちラブライブ本選に出場できなかったこと。それをやり残した状態で先もクソもねーだろと卒業ライブを敢行し、Saint Snowはその活動に一つの区切りをつける。まあ理亞はSaint Snowそのものを続けるのではなく新しいユニットとしてスクールアイドルを続けようとしているので、姉との最後のライブを終えなくては先に進めなかったわけですね。
 姉とすべてをやり切って、その上で新しい活動を始める理亞。そしてこれが必要だったのはAqoursも同じで、区切りをつけるためにAqoursも卒業ライブを行う。観客のいないライブはつまり自分たちのためにやるライブだからであって、そういう意味ではμ'sの僕たちはひとつの光と通ずるものがある。区切りは大事。

 あとあれ、はっきり言って今作のライブシーンのうちでSaint Snowのそれが一番好きだった。なんか他の曲がいうほどパッとしなかったからってのもあるけど、ここは曲も映像もすげえ気合入っててかっこよかった。特に理亞ちゃんのが執拗にズームされててよかった。かっけえイントロにどこから出てきたのかわからない光線に颯爽と現れる。お涙頂戴ではなくかっこいい卒業ソングっぽい歌詞といきなり差し込まれる。ぶっちゃけ画面が暗くてよく見えなかった

まとめ

 エピローグで流れる、新しく高校生になるのであろう少女たちの会話。は?お前知らねえのAqoursだよ、あー俺も輝きてえな。みたいな台詞は普通怪獣である一期一話の千歌が発するようなそれであり、彼女たちは恐らくこの後Aqoursに入って更にその先の物語に関わっていくのだろうと予感させる。μ'sに入らせてもらえなかった某妹が聞いたらガチ切れしてもおかしくないが、それがAqoursの受け継いだ功績でもある。

 でも実際の運営としてはAqoursに新メンバーが入るってことはないんだよな。これがアニメでやる感動的な物語と世知辛い現実の祖語。まあいいけど。それからお話的にも、一度は三年生が出てこないライブをやった方が説得力増すよなあでもどうせやらんだろうなあと思ってたら一応ラストが形式上はそれっぽい感じになったのでその辺で手を打ってやってもいいと思った。

 とにかく、想像してたより全然面白かったですね。初代と同じようにラブライブ優勝した後の身の振り方について描いた話で、それでいて初代とは異なったテーマと結末をちゃんとやり切ったのは想像以上だった。ただエンタメ的にはライブシーンが弱かったというか、途中の海外編がなんかいらんかったというか、初代でいうところの「今が最高」みたいな激強ワードのパンチが足らなかったというか、まあ語るとキリがないけどとりあえず一つの作品の最終章としてとても綺麗に終わっていたと思います。はい。

Awaken the power

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